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    • 2016.12.22 Thursday
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    珈琲閑話 田中幸子

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      珈琲が好き。いや、すこぶる、好きである。

      毎朝、珈琲の香りと味がないと一日が始まらないし、脳が働かない。

      朝二杯。

      仕事中、だらだらと二、三杯。

      夕食後、一杯。 明らかに飲み過ぎである。

      しかも、かなり大きめのカップを愛用しているので、一杯が通常のカップの二杯分かもしれない。

      とにかく、私にとってPCと猫に並び、珈琲は仕事をする時の必需品なのである。

      (写真は最近飲んだカフェマキャート。ウサギの前脚も描かれていて、かわいいのです)

       

      そもそもいつ頃から珈琲に目覚めたのだろう。

      最初はインスタントコーヒーから始まった気がする。 豆から挽いて飲む珈琲を知ってから、今は全く飲まなくなったけれど。

      そうだ、インスタントだった。一緒に暮らした祖父母が、三時のおやつ時になると必ず飲んでいたっけ。

      小学校に入学したばかりの私は、グラインダーとかドリップとか、そんなこと知らなかったから、

      インスタントコーヒーを本物の珈琲だと思っていた。

      大きくUCCとロゴの入ったガラス瓶の中から、祖父がスプーンでジャリジャリとした固形物をカップに入れる。

      ガラス瓶の蓋は金色がかった黄土色で、ただのプラスティック素材だろうけれど、

      子供心に、なんだか贅沢なもの、と信じていたような気がする。 もちろん、

      子供の私は飲ませてもらえなかった。だから、それは大人だけが楽しめる禁断の飲み物。

      祖父母のカップから漂う苦い香りを感じつつ、コタツの隅にちょこんと座って自分のおやつを食べている私に、

      祖母は「特別ね」と言って、クリープのあまーい白い粉を食べさせてくれた。

      ひと匙だけの、至福の味だった。 クリープは食べようとするとすぐに溶けて固くなって、スプーンにへばりついてしまう。

      食いしん坊の私は必死に舌で舐めとった。だから、幼いころの珈琲の思い出は、鼻孔に漂う苦い香りと、このクリープの舌触り。

      いつの頃からか、祖父母と珈琲を飲むようになっていたが、そこではインスタントが本物の珈琲だった。

      それでじゅうぶんおいしかった。

       

      さて?

      ここまで書いてみたが、 「珈琲はやっぱり挽きたてが最高!」と、考え出したのはいつからだろう。

      多分、アメリカの田舎町に暮らしていた時だと思う。

      まぁ、アメリカでは、比較的安価な店の珈琲は薄いけれど、町のダウンタウンにあったベーグル屋さんの珈琲は違った。

      当時の田舎には珍しいベーグル専門店で、ベーグルの生地が豊富だった。

      プレーンからイチゴやブルーベリーを練りこんだもの、ほうれん草などの野菜バージョンもあった気がする。

      生地に挟むものも豊富。ローストサーモン、チキンやビーフ系もあった。私のお気に入りはクリームチーズ系。

      「ブルーベリーベーグルに、ラズベリークリームチーズを挟んで。珈琲も」 というのが、お気に入りのメニューだった。

      クリームチーズの量がすごくて、2センチくらいの幅(!)になるくらい塗りたくってくれる。

      ひんやりしたクリームチーズと、少し焼いてもらった固めのベーグル生地。そこへ濃いめの珈琲の苦味。

      今でも思い出すと唾液の分泌が増す。朝の定番だった。

      珈琲の種類も今日のスペシャル、モカ、フレンチ、ブラジル等々豊富にあった。

      「今挽きたてがでるから、ちょっと待って」

      と、店員のお姉さんに言われて素直に待っていると、すこぶる深い珈琲が出てきてうれしかった。

      店の外でしんしんと雪が降っている朝は、格別にうれしい。

      珈琲はその頃から、一人暮らしのアパートでも珈琲メーカーを買い込んで、日常的に飲むようになった。

       

      それから数十年。

      ブレンド、カフェオレ、カフェマッキャート、カプチーノ、エスプレッソ……。

      デカフェ、無脂肪乳、豆乳……。

      子供の頃に比べれば、種類は豊富だし、自分が今何を飲みたいかもだいたいわかる。

      近所には何軒かのお気に入り珈琲スポットがあるし、家庭での珈琲の消費量は尋常でない。

      いつか、サイフォン式珈琲メーカーがほしいけれど、理科や化学の実験が苦手だった私には、あのシステムは恐ろしい。

      沸点に達した瞬間を想像しただけで不安になって、手が出ない。

      こんな感じで、日々マイペースに珈琲を楽しんでいる。

       

      珈琲体験を積み重ねてきて、正直、インスタントコーヒーは飲みたいとは思わない。

      けれど、クリープの甘い粉をぱくりと食べながら楽しんだあの香りは、特別に好ましい香りだったと、今でも思っている。

      この経験がなければ、珈琲好きにはなれなかったかもしれない。

       

      そうそう、珈琲といえば、映画『ニキータ』のワンシーン。

      高級カフェで主人公が久しぶりに上司に会う時、何を注文するのかと思えば、 不愛想に、

      「ショコラ、ガトー」(字幕では「ココアとケーキ」)と言う。

      えっ甘いものに甘いもの?!

      そこはブラック珈琲じゃないの?! と、驚いた。

      でも、主人公の人物造形の一端と考えると、その意外性ゆえに妙に納得してしまう。

      セリフのリズムもいいし。

      なるほど、このシーンで上司に腹を立てている殺し屋の主人公には似合っているのだ。

      (あ、それともフランスのココアは苦いのか?)

      些細なことだけれど、こういう部分も大切だと思えるシーンです。

      (むすっとした表情と帽子のポップなデザイン、この落差がこれまた楽しい。)

      (幸)

       


      列車恐怖症 高橋洋

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        これはソウルの地下鉄のさらに地下深くにあるとても気持ちの悪い廃駅だ。

         

         

        何でこんな所を取材してるかというと、韓国で恐怖映画を作ることになったのである。
        詳しいことはまだ書けないが、たぶんテーマは「列車恐怖症」になるんじゃないかと思う。
        僕自身が20代の一時期、ひどい列車恐怖症に陥って、未だにちょっと尾を引きずっているからだ。
        僕は自分が本気で怖いと思ってるものしか書けない…。

         

        列車恐怖症になったきっかけは、眼の前で飛び込み自殺を見たからである。
        いや、厳密に言うと飛び込みとは言えない。
        その女は、気がつくと、線路に降りて列車に背を向けてしゃがんでいた。
        聞いたこともないような凄まじい警笛とブレーキ音が上がったが、間に合わず、その女はズルリと車両に呑み込まれた。
        その瞬間、ホームにいた乗客たちは飛び跳ねるように一斉に顔を背けた。

         

        自分が20代の当時、働いていた会社の最寄駅で起こった事故だ。
        実は僕は事故が起こる前に、この女をホームで見かけていたのである。
        改札を抜けて階段を上ってホームに出ると、眼の前に女はいた。
        すぐに見てはいけないと気づいた。
        どういう風に見てはいけない存在だったか書くのは控える。
        というのも、この映画のプロットのためにその時の体験を克明に書いていたら(ちょうど深夜だったせいもあるのだが)、その女がすぐそばにいると感じられたからだ。
        だいたい深夜に死者を思うのはよいことではない。
        特にその女について言えば、自分は死ぬ直前の顔を見てしまっていることになる。
        昔は書いていて怖くなると、ためらうことなくジョナサンに逃げた。
        これ以上、ここにいたら何か起こりそうな気がしてたまらなくなるから。
        その日はもう午前3時だったので、とっとと仕事を切り上げることにした。
        トイレに行ってる間も、歯を磨いている間も気配が消えない。
        今にも何か起こりそうだ。
        やっと寝室の布団の中に潜り込んで、やれやれとなった時、ガチャッ!と寝室のドアが開いた。
        さすがに悲鳴を上げそうになった。
        もちろん、ドアの向こうに女が立っていたりはしない。
        独りでにドアが開くのはたまにあることだ。
        でも、何でこのタイミングなんだ…。

         

         

        事故があった瞬間、僕は線路にしゃがんでいたのが誰か気づかなかった。
        一瞬遅れてあの女を思い出し、さっき見かけたホームの辺りを伺うと、駆け寄る駅員たちの足元に、女が胸元で握りしめていた白いバッグがポツンと置かれていた。
        一番ゾッとしたのはその時である。
        以来、列車恐怖症になった。
        警笛やブレーキ音を聞くと身がすくむ。
        ホームと車両の間が恐ろしくて覗き込めない。
        とにかくホームにいる時は中央の柱につかまっている。
        夜、寝ていると、明日、電車に乗る自分が信じられず不安が押し寄せてくる。
        線路の上をギリギリと滑ってくる車輪に、自分はいつか巻き込まれる運命だと思えてくる。

         

        ところがだ。
        僕は最近、たまたまこの事故があった駅に立ち寄って、頭がグニャリとなるような感覚を味わった。
        僕の記憶では、列車はホームに立つ自分の右手から入って来たのだ。
        間違いない。僕は事故を目撃したその日に、眼に焼きついた光景をスケッチに残している。
        しかし、現実には列車は左手から入って来た…。
        ということは反対側のホームも列車は左手から入って来ることになる。
        右手から来るなんてあり得ない…。
        いったいこれはどういうことなんだろうか?
        渋谷駅や新宿駅は列車は右手から入って来る。しかし通勤していた最寄駅を間違えて覚えるはずがない。
        ひょっとして自分は、受け入れがたい光景を前にして、とっさに脳内で左右を反転させたのだろうか?
        まるで鏡の中の世界を見るように。
        そんなことを知り合いに話したら、轢死体も左右逆になってるかもよと怖いことを言われた。
        この人、才能あるなと思った。
        いや、それはともかく。実に困ったことになったわけだ。
        だいたい今頃になって左右逆と気づくのがおかしい。散々利用した駅だ。
        で、とにかく見たことは間違いないのだから、証拠のスケッチをこのブログでアップしようと思ったのだが、ない…。
        どうにも見つからない。
        どうなってるのこれー!
         


        漫喫。 高橋泉

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          漫画喫茶。通称、漫喫。漫画を多数揃えた喫茶店で、名古屋が発祥の地らしい。

          昔はもちろん、漫画を読みに行っていたけど、ここ数年、漫喫でほとんど漫画を読んだ記憶がない。漫画だけじゃなくて、新聞にもパソコンにも雑誌にも触れない。僕が満喫を利用するのは仕事が主。狭くて薄い壁に囲まれていると、仕事が異常にはかどるからだ。

          喫茶店だと、人の話し声がうるさいのもある。それを遮るために聞く音楽も、またうるさい。漫喫はほぼ、僕の中では図書館と同義。タバコが吸える図書館。館内で話し声は聞こえない。原作を周りの視線を気にせずに広げられるのもいい。

          出来ればフラットシートが良い。リクライニングタイプは、位置取りに時間がかかる。あの狭い空間で、座席とテーブル(PC台)の距離を合わせるのは一苦労。

          だけど、都心のフラットシートは人気。喫煙ブースの縮小も相まって、「喫煙、フラットシートで」という選択は二重苦になっている。新宿の『マ○ボー』は結構な激戦。だからなのか、昼間のゆるい時間に入ると、「今、フラットいけますよ?」と言われることがある。「マジすか?」と思わず心踊る瞬間。

          まずは部屋のナンバーを、何度も何度も自分の中で復唱する。僕はネガティブな思考なので、間違って他人の部屋に入ってしまって、殺されるレベルまで想像してしまう。

          満喫のフリードリンクには、大きくグラス(プラカップ)と紙コップの二種類がある。グラスの方がサービスが良い感じがするが、返却せずに重ねてゴミ箱に捨てられる紙コップの方がやや有利。もう少しサイズが大きければベターだけど。

          個室は風営法で、ドアの下から中が見えなければいけないらしいが、入ったらまず、そこはリュックで塞ぐ。まさか腰をかがめて覗いてくるやつはいないとしても、密室感がないと筆が進まない。

          満喫の一番の騒音はいびきだと思われがちだが、一番嫌なのはスマホのアラーム。いびきかいてるやつは気楽なんだろうなと思えるけど、アラームが鳴り出すと、そいつはこれから起きて、何か用事を済ませなければならないという、月曜の朝の空気みたいなのが、僕の中に入ってくる。僕は誰かに時間を決められて出かけるのが本当に嫌いで、それは誰でも同じだよ、というレベルではなくて。

          PC台に乗ったキーボードをグッと奥に退かし、自分のパソコンを置く。その瞬間から仕事が始められるように、受付を済ませながら、最初の書き始めだけでも、頭の中で作っておく。パソコンを開いた瞬間に書き始められないと、そのままズルズルと時間だけが過ぎていく。金を払ってコクピットに乗り込んだ意味がなくなる。

          そこからただただ書き続ける。まだまだ書けるし頭の中で台詞が浮かんでいても、キーボードを叩くのを体が拒否したとき、だいたい5時間経っている。そこからクールダウンとしてスマホでキャンディークラッシュしながら、6時間パックを終える。

          おそらく寄る年波には勝てないのか、5時間が限界になってきた。5時間を間を空けて二回戦はいけるけど、気づいたら12時間経っていて、店員に一度清算してくれ、といわれることはもうなくなった。

           

          寄る年波といえば、酒を飲むと眠ってしまうことが多くなった。その対処法としても、ここ数年は終電があっても漫喫を利用するようになった。

          中央線ユーザーはやってしまったことがあると思うけど、乗り過ごした先が、高尾、八王子、豊田……ならまだいいんです。一番ヤバいのは青梅。何故なら、駅前に漫喫がないから。駅前派出所のバス停のベンチは安全だと思うけど、夏限定。それに、

          中央線終点あたりの漫喫は、客を取ってる女性の電話の声が聞こえたりもするので、ただでさえ閑散として不安を抱えた乗り過ごし組に、もうひとムチ感あり。

          昨年、脚本コース4期の生徒と渋谷で忘年会をやった際、調子に乗ってガンガン金を払っていたら、残り3千円くらいしか財布に入ってなくて、まあ、ラーメン食って6時間パック1500円払って朝帰ればいいやとタカをくくっていたら、年の瀬でどこの漫喫も満室御礼だったことがあった。何軒回ってどのくらいの時間を費やしたのか。それでも最後に入った漫喫で空き室があった。

          「リクライニングでも、禁煙でもなんでもいいです」。とにかく眠りたかった僕に、「ペアシートなんで、値段倍だけどいいです?」と店員。Suicaに残ってる金などを全部計算して、3時間、3時間なら行ける!

          たかが漫喫、されど漫喫。そこに入る前と入った後に、世界は二分される。


          バトル・オブ・ローリー 村井さだゆき

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            アニメいずめんとの開催地ローリーのことも書いておこう。

             

            当日の朝、イベントの前に時間があったので、M2南くんと連れ立って2時間ほど町を散策する。
            最初、会場のコンベンションセンターから西に坂を下りて行くと、すぐにローリー駅があった。
            「え?」
            シカゴと比べると──比べること自体が間違いなのだが、こっちは地方都市だからー、すごい田舎だよー、と言われていたので覚悟はしていたが、見事に何もない。

             

             

            駅舎は生意気にギリシア風オーダーを備えた小洒落た外観をしてやがるが、改札とかもなくホームに自由に入れる。時刻表を見ると一日わずか8本。これは……。
            運よく列車が入ってくるところに居合わせたので見たが、アムトラックのビューライナーというヤツだそうな。なるほど日本でいうと新幹線みたいな感覚の長距離高速鉄道なのだろう。
            それにしても駅周辺の閑散とした感じはなんなのか。周りにちょっと買い物が出来るような店もない。要するに「駅前」というものがない。
            「『世界ふれあい街歩き』が絶対に来そうにない町だねえ」などと言いながら会場近くに戻り、今度は北に真っ直ぐ伸びる道を見る。
            「あ……」
            意外と建物がでかい。なるほどこっちがメインストリートだったのね。

             

            これはけっこう大きな町なんじゃ。立川や町田……まではいかないけど、相模大野とか南町田? うーんちょっと違うなあ、とか言ってると、東京の町になぞらえるのはやめましょう、と南くんにたしなめられる。
            街路樹が並ぶ気持ちの良い街路を歩いているうちに、大砲やら彫像やら、モニュメントに囲まれた立派なオーダーを備えた建物に出くわす。どうやら南北戦争の記念碑らしい(後で調べると州会議事堂)。ここはノースカロライナ。南軍側だった州だ。
            そういえばこの町の牧歌的な雰囲気は南部のそれなのか。少し町の歴史に興味が湧く。

             

             

            ここでガイドブックによると、ローリーは1788年、まだここに町も何もないうちに、州議会議員がよく行く酒場から近いという理由でノースカロライナ州の州都に選定され、それから町の建設が始まった計画都市である。最初の市街は碁盤の目のように整備された。
            なるほど、ここも南北に長い長方形の綺麗な碁盤の目。町の端はいずれも下り坂になっているから、ちょっとした台地の上に町が作られているのが分かる。

             

            ──もしかして、ブラタモリでお馴染みの『河岸段丘』か!

             

            これも後付けの知識だが、アパラチア山脈からピードモント台地の東麓に平行に流れる河川の滝を結んだ滝線上に位置し、水力発電を利用した工業都市として発展した都市群を滝線都市(たきせんとし)と呼ぶが、このローリーもその一つなのだそうだ。

             

            州会議事堂から少し行くと、もう街の端。市街地は端から端まで2キロもない。と、超でかい地球が現れる。ノースカロライナ自然科学博物館。無料で入れたのでそこで時間を潰してしまう。ノースカロライナ歴史博物館がすぐ隣にあって、知っていればそちらに入ったのだが。
            自然科学博物館自体は社会科見学の子どもたちで賑わっていて、教育にはとても良い施設。この町、文化度高い。

             

             

            そっから折り返してコンベンションセンターに戻ったのだが、駅を見た時とは町の印象がガラリと変わっていた。アニメいずめんとの運営の方に聞いたのだが、周辺三つの大学に囲まれたトライアングルの中にあるこの地域は、ハイテク産業の研究・開発が盛んだという。
            後で調べたらローリーは人口40万──おいおい大都市じゃないか。あの駅周辺はなんだったのか。日本人の感覚では、駅前が即中心街だと思いがちだが、アメリカでは必ずしもそうではないらしい。

            そんな訳でこの街歩きは意外と楽しかったのだが(いつか「世界ふれあい街歩き」で紹介して欲しいです)、それにしても建物は大きいのに平日の昼間に人は少ないし、軽食をとる場所もショッピングする場所もコンビニも見当たらない。建物は立派だが人口40万都市のダウンタウンにしては規模が小さい。
            人はもっと周辺に点在するように住んでいて、買い物も食事も郊外のモール街に車で出かけてするのだそうだ(これについては日本の地方都市もそうなりつつあるが)。どの駅前にもコンビニとラーメン屋と牛丼屋があるような東京近郊の町とは、有様が違うのを実感した。それだけは南阿佐ヶ谷のほうが勝ってる、とは南くんの弁である。



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